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うきは駅は今年で91歳になります。

2022/04/23

こんにちは うきは観光みらいづくり公社 小田です。

うきはの「テツ」情報、鉄道に関する情報を紹介します。

前のうきは駅の記事掲載からしばらく時間が経ってしまいました。

今回はJRうきは駅ヒストリーをご紹介します。

【うきは市周辺の公共交通の歴史】

JRうきは駅の歴史をお話しする前にJR久大本線や鉄道開通前のうきは市や周辺の交通事情の歴史をお話しします。

久大本線の始発駅、久留米には1890年(明治23年)、九州で最も早く博多からの鉄道(九州鉄道、現在の鹿児島本線)が開通しました。
博多~久留米の開通時に九州で初めてかけられたという千歳川(筑後川)鉄橋

うきは市周辺はというと筑後馬車軌道(鉄の軌道走る客車を馬が引っ張る)が1903年(明治36年)吉井~田主丸間に開通しました。この筑後軌道は以前にも触れましたが、国道210号に軌道を引いて走るものでした。

筑後馬車鉄道 浮羽郡誌より引用

この筑後軌道は本社がうきは市吉井町にありました。吉井を中心に西は久留米へ、東は日田へ延びていきます。

1910年(明治43)には久留米~保木までが開通し、現うきは駅の近くにも軌道が通るようになりました。この頃には馬車から蒸気機関車になっていたそうです。

筑後軌道の機関車・客車 吉井町誌より引用

ここで全国的な鉄道の話を紹介すると、九州でも、先述した「九州鉄道」が1887年(明治20年)に設立され、福岡、熊本、佐賀を中心に鉄道敷設を進めました。久大本線の大分側は大湯鉄道(だいとうてつどう)が鉄道敷設を進め、まず大分~小野屋(現由布市)が開通。

久大本線以外にも九州には小さな民間地方鉄道が数多く設立されました。

1920年(大正9年)鉄道省というのが誕生します。明治以降、全国の中央、地方鉄道敷設が進められ、事業が大きくなるにつれ、国家事業として進められ、鉄道事業が「省」にまで昇格しました。

そこで行われたのは、小さな民間鉄道事業者を買収し、国有化、全国にくまなく鉄道網を張りめぐらせることでした。

久大本線でいうと、大分側は先述の大湯鉄道が大正11年に国有化、国鉄事業として大分から日田、久留米に向けて鉄道を延伸させていきました。

一方、JRうきは駅周辺の久大本線久留米側の鉄道敷設は久留米~筑後吉井間は昭和3年、筑後千足駅(現うきは駅)までは昭和6年、昭和9年に久大本線が全線開通し、それまで市民の足として活躍していた筑後軌道は廃止となりました。


久大本線を走る蒸気機関車


うきは駅下りホームの屋根は黒くなっている。蒸気機関車が走っていたころの煙の跡だそう。

JRうきは駅の入口には「建物財産票」というものがあって、「昭和6年5月」と印字されています。

現在のうきは駅(当時は筑後千足駅)が久大本線開通時からの建物であることが分かります。

 


昭和21年の鉄道路線図(筑後千足という文字が見える)


筑後千足駅時代の駅記念スタンプ

【国鉄最盛期の頃の駅業務】

建物は現在の駅舎である本屋のほか便所、貨物保管庫、浴室(駅員専用浴室)、下りホーム上屋、貨物上屋、採石場ホームで構成されていました。この頃のうきは駅は24時間勤務で交代制でしたので、駅員用の浴室もありました。また、久大本線にも貨物列車が走っていましたので、貨物取扱施設も併設されていました。

駅務室の奥にある仮眠室。畳敷きである。

駅職員は開業当初、駅長1人、駅員2名でしたが、その後、多い時には10名が配置されたそうです。

それでは当時の10名がどんな仕事をしていたかご紹介しましょう。

出札/改札係:切符の販売・改札・運賃精算(→現在はこの仕事のみ)

小荷物係:かつて「小荷物」(こにもつ)といって、現在の宅配便のようなことを鉄道で取り扱っていました。切符販売の隣に小荷物窓口がありました。うきは駅にもその名残があります。

右が通常目にする切符販売窓口。左が小荷物取り扱い専用窓口。(写真はJR千綿駅・長崎県。現在はレストランの厨房となっている。)


うきは駅の券売機の後ろ(チラシを貼っているところ)はかつて小荷物取り扱い窓口だった。

また、かつて駅前には、たいてい「日本通運」が立地しており、駅についた荷物をトラック輸送していたそうです。

また、新聞や雑誌なども毎日、鉄道を利用して運ばれていました。

昭和40年代の列車(隈の上付近・貨車と客車の両方がけん引されている)

貨物係:かつて久大本線には貨物列車も走っていました。うきは駅でも現在の駐輪場付近に貨物専用の引き込み線がありました。
木材も運び出されていたそうで、浮羽森林組合がうきは駅に隣接して立地しているのはその頃の名残だそうです。

うきは駅と浮羽森林組合は隣接している。

砕石係:かつてうきはの山間部から線路用の石(バラスト)を採取して、必要に応じて運搬していたそうです。現在はうきはの山間部から砕石を採取しなくなりましたが、バラストを運搬する車両の引き込み線があり、その機能が残っています。

砕石運搬車両の引き込み線(うきは駅北側)

転轍係:線路の方向を変える係です。むかしは手動でした。

戦後、高度経済成長とともにモータリゼーションの変化により、貨物輸送は鉄道からトラックに少しずつシフトし、久大本線では貨物取り扱いがなくなりました。また、鉄道小荷物も昭和61年(1986)には廃止され、久大本線は旅客列車のみとなりました。

【筑後千足駅から改称、JRうきは駅】

平成2年、「筑後千足駅」の名称を「うきは駅」に改称しようという動きがありました。
駅名改称当初、全国で唯一ひらがな表記だった「うきは駅」。
駅名改称記念入場券を求めて、この記念切符を求めて全国から郵送依頼が殺到したという。

うきは駅 駅名改称記念入場券

【ななつ星とうきは駅】

クルーズトレインななつ星はJRうきは駅を生まれ変わらせました。

平成25年クルーズトレインななつ星が運行開始。JRうきは駅を週2回通過することになります。2回のうち1回は市内の保育園児による見送りセレモニーが恒例となりました。(山春保育所近くの線路沿い)

平成27年(2015)には「ななつ星」が、うきは駅に(毎週火曜日12:23 着)14分停車し、毎回、うきはのフルーツ受け渡しセレモニーが行われるようになります。


ななつ星おもてなしセレモニーは徐々に人を呼び、毎週恒例のイベントになりました。

平成29年7月九州北部豪雨は久大本線にも甚大な被害をもたらし、光岡~日田間の橋流失により久大本線の久留米~由布院間は不通、「ななつ星」運行ルートが変更になります。平成30年(2018):久大本線全線復旧するも、うきは駅でのフルーツ受け渡しはなくなってしまいました。(博多駅で出発前に受け渡しとなりました)

【大切にしたい木造駅舎「うきは駅」】

令和4年、JRうきは駅は91周年を迎えます。

切符販売窓口のデザイン。温かみがあってとってもいいですね。


切符・お金を受け渡しする台。小銭による傷を防ぐためか、大理石でできています。

ローカル線の無人駅となった木造駅舎は結構ありますが、うきは駅は駅員が常駐している現役の駅舎です。まだまだ大切に使っていきたいですね。


現在のうきは駅の記念スタンプ。スタンプを求めて鉄道マニアが絶えない。

参考文献/引用文献:
浮羽町史 浮羽町史編纂委員会
吉井町誌 吉井町誌編纂委員会
浮羽郡誌 浮羽郡誌編纂委員会
『明治・大正・昭和 九州の鉄道おもしろ史』 弓削信夫 著 西日本新聞社
ウィキペディア「うきは駅」「久大本線」「筑後軌道」「九州鉄道」「大湯鉄道」
現うきは駅員(国鉄・JRのOB)より聞き取り
駅名はひらがな表記【木造駅舎コレクション】082 | 鉄道コラム | 鉄道チャンネル (tetsudo-ch.com)
閑かな駅でした【木造駅舎コレクション】083 | 鉄道コラム | 鉄道チャンネル (tetsudo-ch.com)

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