
うきは市
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素盞鳴神社
素盞嗚(すさのお)神社は、通常「祇園(ぎおん)さま」の名前で親しまれている神社です。宝暦13年(1763年)の大火災をきっかけに、町中にあったご神体が現在地に祀られました。町の鬼門にあたるこの地で素盞嗚神が町を守ってくれていると言われています。
吉井祇園は明治時代に始まったお祭りで、毎年7月、吉井町内の3ケ所に高さ10メートルあまりの勇壮華麗(ゆうそうかれい)な山笠が建ち、多くの人々が祇園囃子(ぎおんばやし)の調べに誘われて夏の夜の涼を楽しみます。- 定休日
- 無休
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白壁の町並み
うきは市の中心部の筑後吉井地区は、江戸時代に有馬藩の城下町久留米と日田天領を結ぶ豊後街道の宿場町として大いに賑わいました。江戸中期以降には精蝋、酒造、菜種の製油など農産物加工品の製造が盛んになり、「吉井銀(よしいがね)」と呼ばれる有力商人による金融活動などによって繁栄しました。
明治2年(1869年)の大火が契機となり、、草葺きの町屋に代わって瓦葺塗屋造が普及し、商家や地主は競って火災に耐えられ冨を誇示する豪勢な建築を建てるようになりました。経済の最盛期であった大正期に、ほぼ現在の町並みが形成されています。
現在でも、豊後街道の街路沿いに漆喰塗の重厚な土蔵造りの商家跡が連続する町並みと、災除川と南新川沿いに広がる屋敷群が約250軒ほど、ほぼ当時の姿のまま残されており、1996年には重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
本保存地区では、町屋や土蔵が連続する町並みと、豊かな緑に包まれた屋敷や社寺建築、さらに吉井の経済基盤を支えてきた河川や水路などが一体となって歴史的景観を形づくり、筑後地方の商業都市として、特色ある歴史的景観を今に伝えています。
<車でのお越しの方へ>
白壁の町並み散策へおでかけの際は、市営の無料駐車場をご利用ください。 -
浄満寺
東本願寺派。1490年創建。
梵鐘(ぼんしょう)「県指定文化財」・・・戦時中、金属回収の国策に沿い鐘楼(しょうろう)より下され、搬出されようとしたが、文化財的価値を認識した人々の努力により辛くも危機を脱した。現在は納骨堂上の鐘楼に保存されている。- 定休日
- 無休
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正平塔
この塔を建立した調衆(しらべしゅう)一門は、黒木助能(すけよし)を始祖とする星野、黒木、川崎の三氏の総称で、なかでも星野氏は耳納山の複数の山城を拠点として吉井周辺を支配していました。
南北朝の戦乱時には、肥後の菊池氏と征西将軍懐良親王を奉じて南朝に尽くしました。北朝の武家側とは幾度も戦い、多くの生命が失われました。正平14年(1359年)の大原合戦(筑後川の戦い)では、両軍最大の激戦で双方とも多数の戦没者が出ました。これらの戦いで散華した両軍将士の霊を供養するためこの塔が建立されました。
(うきは市指定史跡)- 定休日
- 無休
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重定古墳
6世紀後半に築造されたと考えられており、幕末の久留米藩の国学者、矢野一貞による「筑後将士軍談」に紹介され、古くから知られていました。
本来、西向きのきれいな前方後円墳ですが、前後左右及び後円部頂上は社地として削平(さくへい)されて当時の姿をとどめておらず、現存長51m、後円部径44m、高さ8.5mとなっています。石室は、大型石材を積み上げた石室全長約15mの複室構造の横穴式石室で、玄室の高さが約3.8mとなっています。玄室の腰石および天井石は一枚石を使用しており、豪壮感があります。
装飾は、玄室、前室、羨道部※にかけて赤、緑によって同心円文、靭※、鞆※、蕨手文※、三角文が描かれていますが、戦時中で防空壕として使用されたほか、戦後の考古学ブーム時に壁面に落書きされたり、直接手で触ったりしたため、肉眼では容易に観察できなくなっています。
(国指定史跡)
※羨道(せんどう)・・・古墳の横穴式石室や横穴墓などの玄室と外部とを結ぶ通路部分
※靭(ゆぎ)・・・矢を入れ、腰につけて持ち歩く筒形の容器
※鞆(とも)・・・弓を引く際に手首に巻く道具
※蕨手文(わらびてもん)・・・ワラビの形に似た渦巻状の文様。呪術的な図文と考えられている
※石室は通常は施錠されています。詳しくはお問合せください。- 営業時間
- ※保存上の理由から一般公開していません
- 定休日
- 【資料館】 月曜日(祝日の場合は翌日) 年末年始(12月29日~1月3日)
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小椎尾神社
元久の頃(1205年頃)、時の将軍源頼朝の寵愛を受けていた丹後局は、将軍の死後身の危険をさけるため、その兄・比企能員(ひきよしかず)の依頼を受けた越生越前守広斉に伴われて鹿児島の坊之津に下り、その後八代を経てこの地に落ちのびて来たといわれ、広斉は東山(現在の烏岳)に東山城を築いてこの地方を治め、またこの小椎尾神社も勧請※されたと伝えられています。その後、寛分3年(1663年)3月の大洪水で社殿流出、同5年歴木山に遷宮※され現在に至っています。
神社内に奉納されている敷板(小椎尾神社旧神像敷板)には、康正2年東山城主 越生越前守広斉の名があります。また、敷板と合わせて、農耕絵馬も市の有形民俗文化財に指定されています。
※勧請(かんじょう)・・・分霊を他の神社に移して鎮祭すること。
※遷宮(せんぐう)・・・神社の本殿の造営または修理の際に、神体を従前とは異なる本殿に移すこと。- 定休日
- 無休
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くど造り民家平川家
18世紀後期に建てられた農家住宅。家屋を上から見たときの形状が「くど(かまど)」に似ているというところから「くど造り」の住宅と呼ばれます。
1971年6月に主屋と納屋が民家としては珍しい国指定重要文化財に指定されました。
現在も住居として利用されていますが、事前に予約すれば内部を見学することができます。- 営業時間
- お電話にて事前予約を。個人宅のため早朝、日没後の訪問はご遠慮ください。
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楠名古墳
楠名古墳は7世紀前半に築造されたと考えられており、重定古墳の南に位置する径32m、高さ約6mの円墳で、石室全長約16mの複室構造の横穴式石室です。装飾古墳ではありませんが、玄室※より前室が大きい特異な形状で、前室の中心と墳丘の頂部とが一致する場所に巨石を据えた古墳です。
※玄室・・・横穴式石室や横穴の死者を埋葬する墓室
(国指定史跡)
※石室は通常は施錠されています。詳しくはお問合せください。- 営業時間
- 原則毎月第3土曜日の古墳見学時のみ公開 ※5日前までに要予約
- 定休日
- 【資料館】 月曜日(祝日の場合は翌日) 年末年始(12月29日~1月3日)
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清水湧水
うきは市の山北地区にある「臨済宗清水寺」の境内にこんこんと湧き出る清水湧水は、昔から飲料水や生活用水、農業用水として利用され、貴重な命の水として地域住民の生活を支えてきました。
昭和60年には環境庁(当時)の「日本名水100選」にも選ばれました。
湧水量は1日あたり700tで、水量は1年中安定しています。水温17℃、無色透明、無味無臭でpH7.8のきわめて良質の湧水です。
※清水湧水を汲むのは無料ですが、整備費として100円以上の寄付をお願いします。
最近は「リーゼント地蔵」でも有名になっています。「#清水湧水」で検索 #涼スポット- 定休日
- 無休