うきは市
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月岡古墳
若宮八幡神社の境内にある月岡古墳(つきのおかこふん)は、5世紀半ば頃につくられた若宮古墳群でもっとも古いお墓で、全長80mの前方後円墳です。
文化2年(1805年)に若宮八幡神社の宮司・安元大炊(やすもとおおい)氏によって発見されました。出土した長持形石棺は、近畿地方の有力者と同様の物だったことから、大和政権に深い関わりのある人物が埋葬されていたと考えられ、現在は、その石棺をご神体にお社(やしろ)が建てられています。
また副葬品として甲冑や、鏡、玉類、刀剣、馬具なども出土し、国の重要文化財として吉井歴史民俗資料館に展示されています。- 営業時間
- 原則毎月第3土曜日の古墳見学時のみ公開 ※5日前までに要予約
- 定休日
- 【資料館】 月曜日(祝日の場合は翌日) 年末年始(12月29日~1月3日)
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塚花塚古墳
塚花塚古墳は、古墳時代中期・6世紀後半に築造されたといわれる円墳で径約30m、高さ約6mで、南面した石室が構築されています。羨道※は破壊されて見ることはできませんが、前室は長さ2.2m・幅2.7m、後室は長さ3.3m・幅2.9m・高さ3.7m。天井石や後室壁などに巨岩が使われています。壁画はこの奥壁を主体として描かれ、赤・緑・黄の三色を用い、3個の大型の蕨手文(わらびてもん)や5個の同心円をはじめ、靭や三角紋などが岩面いっぱいに描かれています。明治26年頃に開口した時に、金銅製馬具・太刀・鉄鏃・玉類・須恵器など多数出土したと言われています。
なお、この地方は耳納山麓古墳群の東端にあたり、付近には法正寺古墳をはじめ、前方後円墳や大・小円墳が密集していましたが、その後の土地開拓や大石堰構築などにより、次々と壊されました。この付近一帯には、それらの遺跡が多く点在していて往時をしのぶことができます。甕棺(かめかん)・石棺なども多数出土しています。
(国指定史跡)
※羨道(えんどう、せんどう)・・・古墳の横穴式石室や横穴墓などの玄室と外部とを結ぶ通路部分
※石室は通常は施錠されています。詳しくはお問合せください。- 営業時間
- ※保存上の理由から一般公開していません
- 定休日
- 【資料館】 月曜日(祝日の場合は翌日) 年末年始(12月29日~1月3日)
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田篭諏訪神社
諏訪信仰の総本社、長野県の諏訪大社でも行われている粥占いが行われることで有名な神社です。「粥占い」は、粥に生えたカビの色やその生え方で、その年の農作物の出来を占う伝統行事です。毎年1月15日、宮司(あるいは氏子総代)みずから3合3勺の「粥」を炊き、それを陶製の皿に盛り、筑前・筑後・豊前・前後の4区に区分して御粥箱に入れ、神殿に納めておきます。そして2月の卯の日(現在は3月20日)に「お粥開き」を行い、カビの生え方や、色の付き方などによってその年の吉凶を占います。
1782年(天明2年)から現在まで書き続けられている記録には、粥面の絵を描き、まず占いを簡単に書き、年末にその年の実況を記入するようになっています。この「粥占い」の記録と御粥箱は、県指定文化財にもなっています。- 定休日
- 無休
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大生寺
大生寺は、奈良時代前半に行基が道場を開いたのが始まりと伝えられています。延暦元年(782年)五台山大聖寺として勅願寺※となり大いに栄えましたが、その後衰え明徳2年(1391年)曹洞宗の無箸禅師によって再興されましたが、盛衰を経て慶安元年(1648年)、久留米藩主の支援によって臨済宗の寺として復興しました。
本堂正面の小高い場所にある仏殿(大雄宝殿)は、5間半4方(約98平方メートル)の広さがあり、貞亨4年(1687年)博多聖福寺より移築された建物です。中に安置されている本尊薬師如来は行基菩薩の作といわれ、賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)木像は日本にある三体のうちの一つといわれています。
※勅願寺(ちょくがんじ)・・・時の天皇・上皇の発願により、国家鎮護・皇室繁栄などを祈願して創建された祈願寺のこと。寺格の一つ。
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清水禅寺
臨済宗古刹(こさつ)。建長元年(1249年)、常陸国の出身、日用比丘(ひようひこ)という僧が各地を遍歴して浮羽に入りました。たまたま観音山に参ったところ、庭園や木々が美しく、まるで桃源郷のようなこの土地を愛し、ついに自ら茅屋を結んで、閑居すること数年、地元の人がその徳行の非凡なことをみて大変尊敬し、比丘のために競って浄財を喜捨し、たちまちにして寺院ができたといいます。ときの領主、大蔵隆真は立派な田を9段あまり寄進し、寺院としての基礎ができました。天正7年(1579年)大友の兵火をこうむって一時衰退しましたが、寛文8年(1668年)久留米梅林寺第二世澤雲和尚の高弟休岳和尚が入山して再興しました。
境内にある、こんこんと湧き出る湧水は「清水湧水」と呼ばれており、昔から飲料水や生活用水、農業用水として利用され、地域住民の生活を支える貴重な命の水として大事にされてきました。湧水量は1日あたり700t、水量は1年中安定しており、水温17℃、無色透明、無味無臭でpH7.8のきわめて良質の湧水です。日本名水百選にも選ばれています。
※湧水を汲むのは「無料」ですが、整備費として100円以上の寄付をお願いします。- 定休日
- 無休
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素盞鳴神社
素盞嗚(すさのお)神社は、通常「祇園(ぎおん)さま」の名前で親しまれている神社です。宝暦13年(1763年)の大火災をきっかけに、町中にあったご神体が現在地に祀られました。町の鬼門にあたるこの地で素盞嗚神が町を守ってくれていると言われています。
吉井祇園は明治時代に始まったお祭りで、毎年7月、吉井町内の3ケ所に高さ10メートルあまりの勇壮華麗(ゆうそうかれい)な山笠が建ち、多くの人々が祇園囃子(ぎおんばやし)の調べに誘われて夏の夜の涼を楽しみます。- 定休日
- 無休
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白壁の町並み
うきは市の中心部の筑後吉井地区は、江戸時代に有馬藩の城下町久留米と日田天領を結ぶ豊後街道の宿場町として大いに賑わいました。江戸中期以降には精蝋、酒造、菜種の製油など農産物加工品の製造が盛んになり、「吉井銀(よしいがね)」と呼ばれる有力商人による金融活動などによって繁栄しました。
明治2年(1869年)の大火が契機となり、、草葺きの町屋に代わって瓦葺塗屋造が普及し、商家や地主は競って火災に耐えられ冨を誇示する豪勢な建築を建てるようになりました。経済の最盛期であった大正期に、ほぼ現在の町並みが形成されています。
現在でも、豊後街道の街路沿いに漆喰塗の重厚な土蔵造りの商家跡が連続する町並みと、災除川と南新川沿いに広がる屋敷群が約250軒ほど、ほぼ当時の姿のまま残されており、1996年には重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
本保存地区では、町屋や土蔵が連続する町並みと、豊かな緑に包まれた屋敷や社寺建築、さらに吉井の経済基盤を支えてきた河川や水路などが一体となって歴史的景観を形づくり、筑後地方の商業都市として、特色ある歴史的景観を今に伝えています。
<車でのお越しの方へ>
白壁の町並み散策へおでかけの際は、市営の無料駐車場をご利用ください。 -
浄満寺
東本願寺派。1490年創建。
梵鐘(ぼんしょう)「県指定文化財」・・・戦時中、金属回収の国策に沿い鐘楼(しょうろう)より下され、搬出されようとしたが、文化財的価値を認識した人々の努力により辛くも危機を脱した。現在は納骨堂上の鐘楼に保存されている。- 定休日
- 無休
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正平塔
この塔を建立した調衆(しらべしゅう)一門は、黒木助能(すけよし)を始祖とする星野、黒木、川崎の三氏の総称で、なかでも星野氏は耳納山の複数の山城を拠点として吉井周辺を支配していました。
南北朝の戦乱時には、肥後の菊池氏と征西将軍懐良親王を奉じて南朝に尽くしました。北朝の武家側とは幾度も戦い、多くの生命が失われました。正平14年(1359年)の大原合戦(筑後川の戦い)では、両軍最大の激戦で双方とも多数の戦没者が出ました。これらの戦いで散華した両軍将士の霊を供養するためこの塔が建立されました。
(うきは市指定史跡)- 定休日
- 無休