
み る
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本佛寺
本佛寺は、仏教への弾圧が激しかった明治維新の後、日蓮宗の再建に生涯を尽くしたとされる高僧 新居日薩(あらいにっさつ)によって創建されました。31,000坪の広々とした境内には神仏をお祀りする11のお堂があり、九州での中心的な霊場と言われています。本殿には菅原道真公の窮地を救ったとされる「河童の手」が社宝として安置されています。
毎年7月下旬に行われ、60年以上続いている子ども向けの林間学校も広く知られています。毎年、やさしさ、命の大切さなどテーマが決められ、2泊3日で寝食を共にして、子どもたちの心のつながりや礼への意識、また思い出づくりにと貢献されています。
- 定休日
- 無
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生葉郡中三十三観音めぐり
明治時代から行われていたものの一時は途絶えた生葉郡(現うきは市)にある三十三観音めぐりコースを、うきは市スローライフ同好会が歴史を掘り起こし再現しました。
コースは、吉井町・浮羽町に点在する観音様をめぐる三十三番「清水寺」までの全行程約60km。生葉郡の自然環境や文化を満喫できる、うきは市の観光コースとなっています。
同好会では、散策マップ「風光明媚なうきは路を歩こうかい」を作成し、三十三観音めぐりを通して、交流や健康、心の安らぎを図ろうと取り組んでいます。三十三の観音様をめぐりながら、美しいうきは路に思いを馳せてみませんか?
毎年5月17日・18日の「生葉郡三十三観音めぐりの札打ち」の日には、各観音様において、地元の方が、訪れた方々にお茶や菓子等を配るなどのおもてなしをしてくれます。 -
居蔵の館
この「居蔵の館」は、明治末期に建てられ、大正初期に改築されたもので、製蝋業(せいろうぎょう)で財をなした大地主の店舗兼住居でした。官舎であった鏡田屋敷に比べ、豪商の家であったこの建物は、土蔵(くら)造りのなかでも
- 営業時間
- 9:00~16:30
- 定休日
- 月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
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浮羽稲荷神社
城ヶ鼻公園内にある浮羽稲荷は、伏見稲荷神社から稲倉魂の神(うがみたまのかみ、通称、稲荷大神(いなりおおかみ))、京都松尾大社から大山咋の神(おおやまぐいのかみ)、太宰府天満宮から菅原道真公の三神が祀られており、商売繁盛、五穀豊穣、酒造と健康、長命長寿、学問の神様と言われています。
山に沿って続く赤い鳥居を登ると、見晴らしのよい景色が広がるビュースポットで、天気がよければ、原鶴温泉や遠くは甘木方面を見渡すことができます。春は桜の名所としても知られています。
近年、SNS上で有名なスポットとなり、多くの参拝客が訪れます。- 定休日
- 無休
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浮羽歴史民俗資料館
江戸・明治・大正時代の農耕機具や、衣・食・住の資料が展示され、先人の暮らしぶりを伺うことのできる資料館です。
- 営業時間
- 9:00~16:30
- 定休日
- 月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
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大石堰・大石堰遺跡
大石堰は、五人の庄屋の発願により、江戸時代に筑後川左岸に開削されました。これによって、肥沃な大地が生まれ、久留米有馬藩領の水田石高は増大しました。現在もその恩恵を受け、うきはの農産業を支えています。大石水道のほとりには、五庄屋の偉業を称えた三堰の碑(さんえんのひ)があり、「筑後川は諸志に著はれ実に天下の大水なり」と記されています。
■大石堰の歴史 ~五庄屋の灌漑工事の偉業~
江戸初期の浮羽地域は、筑後川の沿岸にありながら土地が高く水利が極めて不便な所で、水田にすることができませんでした。栗林次兵衛・本松平右衛門・山下助左衛門・重富平左衛門・猪山作之丞の五人の庄屋は、筑後川の水をこの大石地区から水路へ引き入れ送水して下流域を水田化しようと決心。寛文3年(1663年)9月にこの計画を久留米藩に提出しました。しかしながら、あまりの大事業であり、水路筋にあたる11カ村から「大石村から水路を開削して導水すれば、洪水時に導水路にあたる村は多大な被害を受ける」と反対運動にあいます。五人の庄屋は、自分たちの計画を貫く為の決意表明として誓詞血判を行い、「計画通り工事をしても損害はない。万一損害があれば、極刑に処されても異存無し」と主張し、同年12月、郡奉行や村人らに灌漑工事を認めさせました。
寛文4年(1664年)1月、藩営事業として工事が始められ3月中旬に開通。翌年寛文5年には溝幅が拡張され、続いて6年、7年と拡張工事が実施されました。更に灌漑面積を拡大するため、難工事の末、延宝2年(1674年)、大石堰が完成しました。その後、大石長野水道は農民の永年の苦労と努力に支えられ、今も下流域一帯、約30平方キロに及ぶ水田地帯を潤しています。
- 営業時間
- 無休
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鏡田屋敷
当初郡役所の官舎として建てられたといわれており、明治後期に郵便局長を務めた佐藤氏が居住し、その後、昭和初期に籠田氏が居住されました。平成3年の台風被害により取り壊されることになっていましたが、所有者の籠田氏より市に寄付され、修復されたのが現在の鏡田屋敷です。
この建物の正面部分は1863年(文久3年)に建てられ、その後明治26年(1893年)に背面の座敷や2階の増築が行われました。明治期の吉井らしい豪華な造りとなっています。
西郷隆盛が書いたと伝わる掛け軸もあるので探してみてください!- 営業時間
- 11:00〜16:30
- 定休日
- 月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
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金子文夫資料館
郷土史家(きょうどしか)であり、収集家でもあった金子文夫氏から寄託された、数十万点に及ぶ貴重な考古資料、民俗資料、金子家の遺品の一部を、地域へ還元し、生涯学習のために活用するべく、うきは市が整理を進めながら展示・公開しています。
- 営業時間
- 9:00~16:30
- 定休日
- 月・火・水・金(祝日は開館) 年末年始(12月29日~1月3日)
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賀茂神社
正平元年(1346年)に後醍醐天皇の遺言に従い、郡司日田出羽守 大蔵永敏目代山北四郎大蔵永高が奉行し、熊懐平右馬太夫波多宿祢行景(くまだきひょうまだゆうはたのすくねゆきかげ)が斎主となり 、山城国愛宕郡賀茂下上大神(上賀茂神社、下賀茂神社)を奉遷したことが起源。行景が初代大宮司となりました。
正平16年(1361年)征西将軍懐良親王が九州を兵乱や戦禍から守るため、竹林因三位中将を奉勅使に送り賀茂神社に幣物を奉って、山城国の賀茂祭の格式によって祭祀を行い、天下泰平を祈りました。この祭りは代々受け継がれて、今日の「おくんち」として伝わっています。
毎年4月11日、五穀豊穣と無病息災を願う伝統行事「浮羽おくんち」が行われます。山北地区の賀茂神社本殿で神事の後、浦安の舞が奉納されます。隈上正八幡宮との間を往復する行列には、振毛槍や「子ども楽(こどもがく)」、かわいい稚児などが並び、時代絵巻を思わせる華やかな行列に、沿道から盛んな声援が送られます。
賀茂神社境内には、たくさんの露店が軒を連ね多くの観光客で賑わいを見せます。
- 定休日
- 無休