うきは観光みらいづくり公社

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妙見社

定休日無休

北極星を神格化した中国の星宿思想(せいしゅく)と仏教が融合して生まれた妙見菩薩(みょうけんぼさつ)をまつるお社は、昔から地域の人によって大切に守られてきました。境内(けいだい)には縄文時代からの吉井町の起こりと発展が詳しく書かれた説明書きがあります。

河北倫明生家 (楠森河北家住宅)

open一般公開なし(電話にて要問合せ)

日本名水百選「清水湧水」など豊富な水源や、のどかな田園風景、果樹園が広がる一画に、楠の森に囲まれた河北家の建物があります。屋敷の周囲は昔ながらの竹垣に囲まれ、敷地内に張り巡らされた水路には毎年初夏になると蛍が舞います。8棟で構成された木造瓦葺の建物は江戸時代から大正時代にかけて建てられたものです。この浮羽の地で800年間27代続く歴史や伝統行事と、江戸時代からの豪農の暮らしぶりを今に伝える屋敷構成がそのまま残された貴重な建物として「登録有形文化財」に指定されています。(「楠森」は古くからの屋号です。)
河北家は、相撲の神として後世まで名高い「大蔵永季」を先祖に持ち、家紋は相撲取りをかたどった珍しいものとなっています。
(国指定登録有形文化財)
■楠森河北家住宅の祭事「壁結(かべゆい)」
旧正月二十日(近年は3月初め)に行う屋敷を取り巻く竹垣の修復作業で、300年以上続く伝統行事です。竹塀の手前に新しい竹を差し、古くなった竹は取り除き、四段ある孟宗竹の竹ぶちは、新しいものを一番上に、4年前の最下段のものは取り除いていきます。最後に、昔ながらの荒縄だけを用いる技法で裏竹と結って仕上げていきます。中世には各地の領主の館や地侍の屋敷では行われていましたが、現在では竹垣を残す屋敷が少なく、北部九州で行っているのはここだけのようです。後世に伝えたいと地元の方々の協力を得て現在も続いています。
■河北倫明(かわきたみちあき)
美術評論家・河北倫明は、東京国立近代美術館次長、京都国立近代美術館館長、横浜美術館館長などを歴任、文化功労者としても表彰され、その活動は美術界に大きな功績を残しています。河北は大正3年(1914年)浮羽郡山春村(現・浮羽町)に生まれ、旧中学明善校から第五高等学校、京都帝国大学を卒業後、文部省美術研究所に勤務、近代洋画の鬼才・青木繁を研究テーマに選び、日本日本美術史にその評価を定めることに尽力しました。
その後も、近代日本美術史研究の先駆者として研究を続け、美術評論を次々と発表。また、東京・京都の国立近代美術館の創設にも深く携わり、美術史家、美術館人としても比類なき存在でした。河北は良寛の「花開くとき蝶来たる、蝶来たる時花開く」という句になぞらえて、「花を作品とすれば蝶は美術評論家、蝶の動きがあって花は生きてくる」とし、生涯を美しい蝶として芸術のために捧げました。

本佛寺

定休日無休

本佛寺は、仏教への弾圧が激しかった明治維新の後、日蓮宗の再建に生涯を尽くしたとされる高僧 新居日薩(あらいにっさつ)によって創建されました。31,000坪の広々とした境内には神仏をお祀りする11のお堂があり、九州での中心的な霊場と言われています。本殿には菅原道真公の窮地を救ったとされる”河童の手”が社宝として安置されています。
毎年7月下旬に行われ、60年以上続いている子ども向けの林間学校も広く知られています。毎年”やさしさ””命の大切さ”などテーマが決められ、二泊三日で寝食を共にして、子どもたちの心のつながりや礼への意識、また思い出づくりにと貢献されています。

ギャラリー安政

open11:00~17:30

定休日火~金(土・日・月・祝日のみ営業)

江戸時代末期からうきはの山中で山林地主として幅広く林業を営んできた野上家。
せせらぎの音を聴きながら風格漂うお座敷でいただくフレンチは格別です。
隣接の蔵(明治築)を改装したギャラリーでは様々な作家の個展が開催されています。

コース料理(要予約)
税抜3,800円~

ウキハコ

open10:00~16:00

定休日月曜日、第2火曜日
(7〜9月の火曜日は開館します)
※上記休館日が祝日の場合は翌日休館となります。

「道の駅うきは」横にある観光案内の施設です。

1. 観光コンシェルジュ
施設に常駐するコンシェルジュが、訪れた方のご要望に合わせて、オススメする場所や注目のスポットをご案内いたします。
2. 休憩空間
授乳スペースもありますので、小さなお子さま連れの方も安心してお使いください。自由にくつろげるスペースには、市内を紹介する雑誌等も設置しています。無料で使えるWi-Fiもあります。
3. レンタルサイクルサービス
うきはのまちを散策するなら、自転車がとても便利です。スポーツタイプ・軽量タイプ・折りたたみタイプの3タイプを揃えていますので、旅のプランに合わせてご利用ください。
貸出時間 10:00~16:00
貸出台数 6台
料金 1日1,000円
※別途保証料1,000円を受付時に回収し、返却時に返金いたします。
特典 うきは市内でお買い物をしたレシートまたは領収書をご提示頂くとレンタル料金50%OFF
(当日申込OK/事前予約可能)
4. 交流の場
うきはの農家さんや作家さんとの交流が楽しめるような体験・体感イベントを随時開催しています。

休憩スポットとして、うきは観光のスタート地点として、思い思いに活用してください。

賀茂神社

定休日無休

正平元年(1346年)に後醍醐天皇の遺言に従い、郡司日田出羽守 大蔵永敏目代山北四郎大蔵永高が奉行し、熊懐平右馬太夫波多宿祢行景(くまだきひょうまだゆうはたのすくねゆきかげ)が斎主となり 、山城国愛宕郡賀茂下上大神(上賀茂神社、下賀茂神社)を奉遷したことが起源。行景が初代大宮司となりました。
正平16年(1361年)征西将軍懐良親王が九州を兵乱や戦禍から守るため、竹林因三位中将を奉勅使に送り賀茂神社に幣物を奉って、山城国の賀茂祭の格式によって祭祀を行い、天下泰平を祈りました。この祭りは代々受け継がれて、今日の「おくんち」として伝わっています。
毎年4月11日、五穀豊穣と無病息災を願う伝統行事「浮羽おくんち」が行われます。山北地区の賀茂神社本殿で神事の後、浦安の舞が奉納されます。隈上正八幡宮との間を往復する行列には、振毛槍や「子ども楽(こどもがく)」、かわいい稚児などが並び、時代絵巻を思わせる華やかな行列に、沿道から盛んな声援が送られます。
賀茂神社境内には、たくさんの露店が軒を連ね多くの観光客で賑わいを見せます。

大生寺

定休日無休

大生寺は、奈良時代前半に行基が道場を開いたのが始まりと伝えられています。延暦元年(782年)五台山大聖寺として勅願寺※となり大いに栄えましたが、その後衰え明徳2年(1391年)曹洞宗の無箸禅師によって再興されましたが、盛衰を経て慶安元年(1648年)、久留米藩主の支援によって臨済宗の寺として復興しました。
本堂正面の小高い場所にある仏殿(大雄宝殿)は、5間半4方(約98平方メートル)の広さがあり、貞亨4年(1687年)博多聖福寺より移築された建物です。中に安置されている本尊薬師如来は行基菩薩の作といわれ、賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)木像は日本にある三体のうちの一つといわれています。
※勅願寺(ちょくがんじ)・・・時の天皇・上皇の発願により、国家鎮護・皇室繁栄などを祈願して創建された祈願寺のこと。寺格の一つ。

ギャラリー&カフェ 光画堂

open11:00~20:00

定休日水曜日、不定休

絵画や写真を見ながら、ジャズの流れる空間でゆっくりとおくつろぎいただけます。
窓からは白壁通りの風景もご覧になれます。個展、グループ展、随時受付中です。

白壁の町並み

open建物内を見学する際は各店舗にお問合せください。

定休日同上

うきは市の中心部の筑後吉井地区は、江戸時代に有馬藩の城下町久留米と日田天領を結ぶ豊後街道の宿場町として大いに賑わいました。江戸中期以降には精蝋、酒造、菜種の製油など農産物加工品の製造が盛んになり、「吉井銀(よしいがね)」と呼ばれる有力商人による金融活動などによって繁栄しました。
明治2年(1869年)の大火が契機となり、、草葺きの町屋に代わって瓦葺塗屋造が普及し、商家や地主は競って火災に耐えられ冨を誇示する豪勢な建築を建てるようになりました。経済の最盛期であった大正期に、ほぼ現在の町並みが形成されています。

現在でも、豊後街道の街路沿いに漆喰塗の重厚な土蔵造りの商家跡が連続する町並みと、災除川と南新川沿いに広がる屋敷群が約250軒ほど、ほぼ当時の姿のまま残されており、1996年には重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
本保存地区では、町屋や土蔵が連続する町並みと、豊かな緑に包まれた屋敷や社寺建築、さらに吉井の経済基盤を支えてきた河川や水路などが一体となって歴史的景観を形づくり、筑後地方の商業都市として、特色ある歴史的景観を今に伝えています。

<車でのお越しの方へ>
白壁の町並み散策へおでかけの際は、市営の無料駐車場をご利用ください。

吉井歴史民俗資料館

open9:00~17:00

定休日月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始

吉井町内の古墳から出土した土器や甕棺(かめかん)、副葬品などの考古資料をはじめ、農業や商業、生活の面から町の成り立ちを振り返ることができる民俗資料を展示する施設です。
中でも、国の重要文化財に指定されている若宮古墳群「月岡古墳」「塚堂古墳」の出土品の特設コーナーが見どころとなっています。

観光会館 土蔵

open9:00~17:00

定休日月曜日(祝日の場合は翌日)

うきは市の観光情報の発信基地。
酒づくりが盛んだった吉井の酒蔵を改装した建物の中には、うきは観光みらいづくり公社の事務所とうきは市のゆるキャラ「うきぴー」の小物を取り揃えたうきぴーショップのほか、人気のどら焼き店 Qui-ti-co-co(キチココ)が営むカフェが併設されています。

観光パンフレットやマップなどをご用意しておりますので、ご自由にお持ちください。

電動アシスト付き自転車のレンタルも行っております。

浮羽稲荷神社

定休日無休

城ヶ鼻公園内にある浮羽稲荷は、伏見稲荷神社から稲倉魂の神(うがみたまのかみ、通称、稲荷大神(いなりおおかみ))、京都松尾大社から大山咋の神(おおやまぐいのかみ)、太宰府天満宮から菅原道真公の三神が祀られており、商売繁盛、五穀豊穣、酒造と健康、長命長寿、学問の神様と言われています。
山に沿って続く赤い鳥居を登ると、見晴らしのよい景色が広がるビュースポットで、天気がよければ、原鶴温泉や遠くは甘木方面を見渡すことができます。春は桜の名所としても知られています。

近年、SNS上で有名なスポットとなり、多くの参拝客が訪れます。

 

浮羽稲荷神社参拝

●浮羽稲荷神社(約7台)
うきは駅方面から県道52号線を真っ直ぐ南下すると山の斜面に鳥居が見えてきますので鳥居手前の右の細い路地へ入ってください。
GoogleMapはこちら

浮羽歴史民俗資料館

open9:00~16:30

定休日月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始

江戸・明治・大正時代の農耕機具や、衣・食・住の資料が展示され、先人の暮らしぶりを伺うことのできる資料館です。
国指定史跡「重定古墳」の模写壁画も展示されています。

金子文夫資料館

open9:00~16:30

定休日月曜日(祝日の場合は翌日)
年末年始(12月29日~1月3日)

郷土史家(きょうどしか)であり、収集家でもあった金子文夫氏から寄託された、数十万点に及ぶ貴重な考古資料、民俗資料、金子家の遺品の一部を、地域へ還元し、生涯学習のために活用するべく、うきは市が整理を進めながら展示・公開しています。

楠名古墳

open原則毎月第3土曜日の古墳見学時のみ公開
※5日前までに要予約

定休日【資料館】
月曜日(祝日の場合は翌日)
年末年始(12月29日~1月3日)

楠名古墳は7世紀前半に築造されたと考えられており、重定古墳の南に位置する径32m、高さ約6mの円墳で、石室全長約16mの複室構造の横穴式石室です。装飾古墳ではありませんが、玄室※より前室が大きい特異な形状で、前室の中心と墳丘の頂部とが一致する場所に巨石を据えた古墳です。
※玄室・・・横穴式石室や横穴の死者を埋葬する墓室
(国指定史跡)

※石室は通常は施錠されています。詳しくはお問合せください。

小椎尾神社

定休日無休

元久の頃(1205年頃)、時の将軍源頼朝の寵愛を受けていた丹後局は、将軍の死後身の危険をさけるため、その兄・比企能員(ひきよしかず)の依頼を受けた越生越前守広斉に伴われて鹿児島の坊之津に下り、その後八代を経てこの地に落ちのびて来たといわれ、広斉は東山(現在の烏岳)に東山城を築いてこの地方を治め、またこの小椎尾神社も勧請※されたと伝えられています。その後、寛分3年(1663年)3月の大洪水で社殿流出、同5年歴木山に遷宮※され現在に至っています。
神社内に奉納されている敷板(小椎尾神社旧神像敷板)には、康正2年東山城主 越生越前守広斉の名があります。また、敷板と合わせて、農耕絵馬も市の有形民俗文化財に指定されています。
※勧請(かんじょう)・・・分霊を他の神社に移して鎮祭すること。
※遷宮(せんぐう)・・・神社の本殿の造営または修理の際に、神体を従前とは異なる本殿に移すこと。

鏡田屋敷

open9:00~17:00

定休日月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始

当初郡役所の官舎として建てられたといわれており、明治後期に郵便局長を務めた佐藤氏が居住し、その後、昭和初期に籠田氏が居住されました。平成3年の台風被害により取り壊されることになっていましたが、所有者の籠田氏より市に寄付され、修復されたのが現在の鏡田屋敷です。
この建物の正面部分は1863年(文久3年)に建てられ、その後明治26年(1893年)に背面の座敷や2階の増築が行われました。明治期の吉井らしい豪華な造りとなっています。

西郷隆盛が書いたと伝わる掛け軸もあるので探してみてください!

重定古墳

open※保存上の理由から一般公開していません

定休日【資料館】
月曜日(祝日の場合は翌日)
年末年始(12月29日~1月3日)

6世紀後半に築造されたと考えられており、幕末の久留米藩の国学者、矢野一貞による「筑後将士軍談」に紹介され、古くから知られていました。
本来、西向きのきれいな前方後円墳ですが、前後左右及び後円部頂上は社地として削平(さくへい)されて当時の姿をとどめておらず、現存長51m、後円部径44m、高さ8.5mとなっています。石室は、大型石材を積み上げた石室全長約15mの複室構造の横穴式石室で、玄室の高さが約3.8mとなっています。玄室の腰石および天井石は一枚石を使用しており、豪壮感があります。
装飾は、玄室、前室、羨道部※にかけて赤、緑によって同心円文、靭※、鞆※、蕨手文※、三角文が描かれていますが、戦時中で防空壕として使用されたほか、戦後の考古学ブーム時に壁面に落書きされたり、直接手で触ったりしたため、肉眼では容易に観察できなくなっています。
(国指定史跡)
※羨道(せんどう)・・・古墳の横穴式石室や横穴墓などの玄室と外部とを結ぶ通路部分
※靭(ゆぎ)・・・矢を入れ、腰につけて持ち歩く筒形の容器
※鞆(とも)・・・弓を引く際に手首に巻く道具
※蕨手文(わらびてもん)・・・ワラビの形に似た渦巻状の文様。呪術的な図文と考えられている

※石室は通常は施錠されています。詳しくはお問合せください。

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