み る
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賀茂神社
正平元年(1346年)に後醍醐天皇の遺言に従い、郡司日田出羽守 大蔵永敏目代山北四郎大蔵永高が奉行し、熊懐平右馬太夫波多宿祢行景(くまだきひょうまだゆうはたのすくねゆきかげ)が斎主となり 、山城国愛宕郡賀茂下上大神(上賀茂神社、下賀茂神社)を奉遷したことが起源。行景が初代大宮司となりました。
正平16年(1361年)征西将軍懐良親王が九州を兵乱や戦禍から守るため、竹林因三位中将を奉勅使に送り賀茂神社に幣物を奉って、山城国の賀茂祭の格式によって祭祀を行い、天下泰平を祈りました。この祭りは代々受け継がれて、今日の「おくんち」として伝わっています。
毎年4月11日、五穀豊穣と無病息災を願う伝統行事「浮羽おくんち」が行われます。山北地区の賀茂神社本殿で神事の後、浦安の舞が奉納されます。隈上正八幡宮との間を往復する行列には、振毛槍や「子ども楽(こどもがく)」、かわいい稚児などが並び、時代絵巻を思わせる華やかな行列に、沿道から盛んな声援が送られます。
賀茂神社境内には、たくさんの露店が軒を連ね多くの観光客で賑わいを見せます。
- 定休日
- 無休
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歌謡曲「王将」の石碑
吉井町に出生した歌手 村田英雄氏の功績をたたえ、表面にミリオンヒットにより第4回日本レコード大賞特別賞を受賞した代表曲「王将」、裏面に「母の道」の文字が刻まれている碑。毎年6月上旬には「王将」の名にちなみ、将棋大会が開催されています。若宮神社敷地内に、2000年に建立された。
- 定休日
- 無休
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河北倫明生家 国登録有形文化財「楠森河北家住宅」【楠森堂】
日本名水百選「清水湧水」など豊富な水源や、のどかな田園風景、果樹園が広がる一画に、楠の森に囲まれた河北家の建物があります。屋敷の周囲は昔ながらの竹垣に囲まれ、敷地内に張り巡らされた水路には毎年初夏になると蛍が舞います。8棟で構成された木造瓦葺の建物は江戸時代から大正時代にかけて建てられたものです。この浮羽の地で800年間36代続く歴史や伝統行事と、江戸時代からの豪農の暮らしぶりを今に伝える屋敷構成がそのまま残された貴重な建物として「国登録有形文化財」に指定されています。(「楠森」は古くからの屋号です。)
河北家は、相撲の神として後世まで名高い「大蔵永季」を先祖に持ち、家紋は相撲取りをかたどった珍しいものとなっています。
(国登録有形文化財)
■楠森河北家住宅の祭事「壁結(かべゆい)」
旧正月二十日(近年は3月初め)に行う屋敷を取り巻く竹垣の修復作業で、300年以上続く伝統行事です。竹塀の手前に新しい竹を差し、古くなった竹は取り除き、四段ある孟宗竹の竹ぶちは、新しいものを一番上に、4年前の最下段のものは取り除いていきます。最後に、昔ながらの荒縄だけを用いる技法で裏竹と結って仕上げていきます。中世には各地の領主の館や地侍の屋敷では行われていましたが、現在では竹垣を残す屋敷が少なく、北部九州で行っているのはここだけのようです。後世に伝えたいと地元の方々の協力を得て現在も続いています。
■河北倫明(かわきたみちあき)
美術評論家・河北倫明は、東京国立近代美術館次長、京都国立近代美術館館長、横浜美術館館長などを歴任、文化功労者としても表彰され、その活動は美術界に大きな功績を残しています。河北は大正3年(1914年)浮羽郡山春村(現・浮羽町)に生まれ、旧中学明善校から第五高等学校、京都帝国大学を卒業後、文部省美術研究所に勤務、近代洋画の鬼才・青木繁を研究テーマに選び、日本日本美術史にその評価を定めることに尽力しました。
その後も、近代日本美術史研究の先駆者として研究を続け、美術評論を次々と発表。また、東京・京都の国立近代美術館の創設にも深く携わり、美術史家、美術館人としても比類なき存在でした。河北は良寛の「花開くとき蝶来たる、蝶来たる時花開く」という句になぞらえて、「花を作品とすれば蝶は美術評論家、蝶の動きがあって花は生きてくる」とし、生涯を美しい蝶として芸術のために捧げました。
- 営業時間
- 一般公開なし(お電話にてお問合せください)
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観光会館 土蔵
2うきは市の観光情報の発信基地。
酒づくりが盛んだった吉井の酒蔵を改装した建物の中には、うきは観光みらいづくり公社の事務所とうきは市のゆるキャラ「うきぴー」の小物を取り揃えたうきぴーショップのほか、人気のどら焼き店 Qui-ti-co-co(キチココ)が営むカフェが併設されています。- 営業時間
- 9:00~17:00
- 定休日
- 月曜日(祝日の場合は翌日)
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菊竹六皷記念館
菊竹 六皷(きくたけ ろっこ)は、5・15事件における少数軍人による暴虐に対し、痛烈な軍部批判を行った吉井町出身のジャーナリストです。菊竹六皷記念館は、氏の功績をたたえ、菊竹六皷の遺品及び記録を後世に伝える記念館です。菊竹六皷のジャーナリスト精神は、吉井町出身の鳥越俊太郎へと受け継がれているのかもしれません。
- 営業時間
- 見学時間 9:00~16:30 利用時間 9:00~22:00まで(入館無料)
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清水湧水
うきは市の山北地区にある「臨済宗清水寺」の境内にこんこんと湧き出る清水湧水は、昔から飲料水や生活用水、農業用水として利用され、貴重な命の水として地域住民の生活を支えてきました。
昭和60年には環境庁(当時)の「日本名水100選」にも選ばれました。
湧水量は1日あたり700tで、水量は1年中安定しています。水温17℃、無色透明、無味無臭でpH7.8のきわめて良質の湧水です。
※清水湧水を汲むのは無料ですが、整備費として100円以上の寄付をお願いします。
最近は「リーゼント地蔵」でも有名になっています。「#清水湧水」で検索 #涼スポット- 定休日
- 無休
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楠名古墳
楠名古墳は7世紀前半に築造されたと考えられており、重定古墳の南に位置する径32m、高さ約6mの円墳で、石室全長約16mの複室構造の横穴式石室です。装飾古墳ではありませんが、玄室※より前室が大きい特異な形状で、前室の中心と墳丘の頂部とが一致する場所に巨石を据えた古墳です。
※玄室・・・横穴式石室や横穴の死者を埋葬する墓室
(国指定史跡)
※石室は通常は施錠されています。詳しくはお問合せください。- 営業時間
- 原則毎月第3土曜日の古墳見学時のみ公開 ※5日前までに要予約
- 定休日
- 【資料館】 月曜日(祝日の場合は翌日) 年末年始(12月29日~1月3日)
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くど造り民家平川家
18世紀後期に建てられた農家住宅。家屋を上から見たときの形状が「くど(かまど)」に似ているというところから「くど造り」の住宅と呼ばれます。
1971年6月に主屋と納屋が民家としては珍しい国指定重要文化財に指定されました。
現在も住居として利用されていますが、事前に予約すれば内部を見学することができます。- 営業時間
- お電話にて事前予約を。個人宅のため早朝、日没後の訪問はご遠慮ください。
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小椎尾神社
元久の頃(1205年頃)、時の将軍源頼朝の寵愛を受けていた丹後局は、将軍の死後身の危険をさけるため、その兄・比企能員(ひきよしかず)の依頼を受けた越生越前守広斉に伴われて鹿児島の坊之津に下り、その後八代を経てこの地に落ちのびて来たといわれ、広斉は東山(現在の烏岳)に東山城を築いてこの地方を治め、またこの小椎尾神社も勧請※されたと伝えられています。その後、寛分3年(1663年)3月の大洪水で社殿流出、同5年歴木山に遷宮※され現在に至っています。
神社内に奉納されている敷板(小椎尾神社旧神像敷板)には、康正2年東山城主 越生越前守広斉の名があります。また、敷板と合わせて、農耕絵馬も市の有形民俗文化財に指定されています。
※勧請(かんじょう)・・・分霊を他の神社に移して鎮祭すること。
※遷宮(せんぐう)・・・神社の本殿の造営または修理の際に、神体を従前とは異なる本殿に移すこと。- 定休日
- 無休